何もないところに仮説をたてて検証していくという事

「仮説を検証することで物事をよくしていくってどういうことなのか?」って事を ここ5年ほどずっと考えているのですが、この頃ようやく何かを掴んだ感覚というのがでてきたの ように思います。ので、メモ。

そもそも仮説とは何か?

自分の定義ですが、 仮説とは正解がわからない事 どうやったらよくできてるのかが現状全くわからないこと について、

「確かめてみないと、実際にうまくいくかどうかわからないけど たぶんこうしたら上手くいく」というな何らかのアイデアを持つということを 仮説を設定するといいます。

※確かめてみないとわかんないよね!というあたりがポイント

仮説の前にあるもの

なんのためにそんなことをするのか? これも誤解を恐れずにいえば、 誰かの願望をかなえるためです。

願望とは何か? 個人の卑近な例で言うと、

  • 結婚したい
  • 友達が欲しい/リア充になりたい
  • 可愛い女の子/イケメンといちゃいちゃしたい
  • もっとお金持ちになりたい
  • 社畜して南の島で暮らしたい!

とかそういう、欲望や願望ややりたいこと、達成したいこと もろもろです。

それらをかなえるために、仮説という道具を使い仮説検証サイクル/PDCAサイクルを回していこう というのが基本的な考え方になります。

欲望や願望を検証するという事

前の項目で、願望の類型としていくつかの例を挙げました。 で、これらの願望を目標に落とし込んでいく際の注意点として挙げたいのが 「その願望はちゃんと検証された願望なのか?」という事です。

どういうことか? 例えばあなたは、独身のアラサーで結婚をしたいという意思をもって これから婚活を始めようとしているタイミングだとしましょう。

そこで、問うべきことは「その願望は本当にあなたの幸福にリンクしているのか?」 ということです。えっと、つまり、「幸せになりたいという」大きな願いが根っこにあって その延長戦上で「結婚をすることでそこに近づく」と考えるから、婚活をしようとしているはずなんです。 で、あれば、「毎日を楽しくするためにはどのような結婚生活がいいかな?自分はどうあるべきなのかな? なんかもっといろいろな見えていない条件がないのかな?」と色々とあーたこーど、 ”仮説をを検証しながら”考えましょう、という事です。(検証しながら、といのがポイント。手を止めてはいけない)

考えてもわからないのであれば、なんだったら疑似体験しちゃえばいいと思います。 現実的かどうか不明ですが、ドラマ「逃げ恥」みたいにお金を払って契約結婚をしてもらうと いうのもありです。とにかく、疑似的に体験をすることで、「本当にそれを得ることでHappyな気持ちになるのかな?」 ということを検証する、で「やっぱり違ったら」違うのでやめようと!サンクコストにとらわれずに いさぎよく方向転換する(よくピボットするとかいいますね)というのが大事かなーと。

※ここで間違っていることを認められないと、それはそれで袋小路にはまりやすい印象です

参考:

欲望や願望を目標に落とし込んでいくこと

そんなこんなやりつつも、仮説を立てるためには、 目標が必要なので何かを目標として設定しましょう。

この時の目標というものの具体的なイメージですが、 「20xx年〇〇月××日までに、△△を達成する」というような感じでできるだけ、

  • いつまでに達成したいのか?
  • 達成できた/できないが明確に判断できるような具体的な基準が設定できているのか?

という感じにしましょう。

なんか「夢に日付をいれる@ワタミ」みたいで自己啓発くさいですし、 自分で自分に枷をつけるみたいでやですよね?

でも、これはあなたが「俺は幸せになるためにこっちの方向にいくのがいいと思っている」という意思の表れであって、 「達成しないと罰が与えられる/達成できなかったら私ははだめな人間だ」みたいなものではないのです。

※ここも間違えると、どんどん苦しくなってやりたくなっちゃうので一つの罠だと思います。

なんでわざわざこんなことをするのか? 「結婚して幸せな生活を送っていつかハッピーになりたい」のレベルだとなんでダメなのか?

それは、ここで達成したいことを超具体的にできれば数字でチェックできるくらいにしておかないと、 後々仮説を設定して具体的にアクションをしていくときに、 「やったのに目標がどれくらい進んだのかわからない」という状態になってやる気がなくなるからですw

仮説検査証サイクルの一つの目的は、 色々な仮説を打ち手としてを実行していくことにより、ちょっとずつ自分が目標に近づいていく 手ごたえを実感すること、言い換えると、日々の努力によって今日よりも明日がよくなるという感覚を 得ること、そうする中で当初とは違う世界が見えて自分の視野が広がっていく過程を実感することにあります。 なので、「やったけど、なんかぴんと来ない」という状態はできるだけ避けたいのです。

そのためには、具体的な目標がどうしても必要になります。 嘘でもいいので、なんか設定しましょうw

目標を立てた後にやっていくべきこと

目標を立てた後は、いくつか進め方があるのですが、 以下のような進め方がいいのでは?と最近は思ってます。

  1. 「それを達成するために今足りていないことはなんだろう?」というのを考える
  2. それが本当に目標とつながっているのか?(それが足りたら目標に近づく?)か考える
  3. つながっている!と思うなら、実際にそれを充足していくような方向でアクションを起こす
  4. アクションを起こした後で、足りなかったものが充足できたか?それによって目標に近づいたのか?をできるだけ定量的に考える

詳しくは以下の本がお勧めです↓

鬼速PDCA

鬼速PDCA

  • 作者:冨田 和成
  • 発売日: 2016/10/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

今まで自分が失敗してきたことと対策

これも箇条書きのレベルですが

  • 目標設定の段階で、明らかに幸せにつながらない方向で考えていた ※具体的には、「私は今毎日が不幸だけど、これを手にさえすればきっと幸せになれる!
    的な方向に考えていた。この考えがは筋が悪い。
        詳しくは以下の本を参照

    どうせなら、楽しく生きよう

    どうせなら、楽しく生きよう

  • やるべきことがわかっているのに実行できなかった

  • やったけど、達成したいことが指標化されていないので、 やったことがの効果が全然体感できなかった。やる気がなくなった

やることで得られるもの

繰り返しになりますが、 自分にとっての仮説検証サイクルの目的は 色々な仮説を打ち手としてを実行していくことにより、ちょっとずつ自分が目標に近づいていく 手ごたえを実感すること、言い換えると、日々の努力によって今日よりも明日がよくなるという感覚を 得ること、そうする中で当初とは違う世界が見えて自分の視野が広がっていく過程を実感することにあります。

上記のようなことを続けていくと、 ちょっとずつ「自分にはやれる」という自信(selfcnfidence)がついてきます。

よく「根拠のない自信」といいますが、 自分は性格的にそういうものは無理なので、コツコツと小さな過程を積む重ねていくことで、 自分は自己の人生をいい方に持っていけるんだ!という感覚を積み上げたいなと思っています。

そうやって、 ・こつこつと日々が良くなっていく実感 ・自分の手で自分の人生をちょっとずついい方向に変えていけるやれるぞ感覚 が出てくると「幸せ~」という感覚になってくるんじゃないかなーというのが 今の自分の仮説です。

もちろん、間違っていたら「すいませんでしたー」と言って変えますw

偏りがちな思考を補うためのサプリメント

この手のロジカルな思考はうまく使うと協力なのですが、 反面、ずっとこういうことばかり考えることで、 以下のような思考のダークサイドに陥りやすくなります。

  • 今目の前で起こっていることへの手触り/肌間隔が消失する/ある種の不全症に負い散りやすくなる
  • 幸せな未来のために今日は不幸でもいい、的な変なモードに入りやすい
  • ずっと考えることで、脳や身体が疲弊してくる
  • 思考偏重になることで、身体やフィーリング、感情へのセンシティブさが失われる

対抗策としてですがいかのようなものがいいのでは?と思っています。

  • マインドフルネス/瞑想の講習を受けてみる
  • できるだけ頭を空っぽにして、散歩やジョギングをする癖をつける
  • 音楽を聴きながら体を動かす(身体性の回復)
  • 人肌に触れる(Hな意味でもそうでない意味でも)
  • ご飯をできるだけ味わってゆっくり食べる
  • 「今日を楽しむ/充足する、今日に満足することがいちばんだいじ」というマインドを持つ

月並みですが、思考と感情と身体感覚のバランスを大事にすること。

あとは、変な言い方になりますが、自分の可能性について一度あきらめること。 「あれだけ頑張ったけど結局、自分は無力だったなー。これが俺の限界か。でもしょうがないな。 それはそれとして、毎日を楽しくすごそう」という感覚を持つこと。

※このテーマについては以下の本がおすすめ!

まじめに生きるって損ですか?

まじめに生きるって損ですか?

その他、とても勉強になった記事/本

d.hatena.ne.jp

売れる会社のすごい仕組み~明日から使えるマーケティング戦略

売れる会社のすごい仕組み~明日から使えるマーケティング戦略

  • 作者:佐藤 義典
  • 発売日: 2009/08/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

働きながら学び続ける生き方

tkykhk.hatenablog.com


先日ネットラジオで聞いた、Googleで働きながらスタンフォード大学にリモートで通っている方の話が面白かったです。

個人的に一番衝撃だったのは、このクラスのスーパー技術者みたいな人でも自分がアクセスできるのと同じようなMOOCっぽい方法で勉強してるんだ!というということで、インターネットに接続できる環境さえあれば誰でも平等にオンライン上でで学ぶことができる時代がきつつあるというのを象徴する事例だなー、と。

ネット環境と最低限の英語力と根性があれば、
MBA、AI/人工知能ナノテクノロジーetc
なんでも勉強できるというのは改めてですがすごいことですよね。

ひさびさにMOOCでなんか受講したいなと思いました。
飽き性なので、最後まで続いた授業は一つもありませんが。。

transient workforceという働き方

techcrunch.com


以下の一文いいっすね!こういう働き方が理想だなーと。

"There are a number of factors propelling this new wave of collaboration, many of which are derived from the increasingly transient workforce where founders and staff no longer stay at the same company for life, rather choosing to move between companies and build networks along the way."

"次世代型のコラボレーションを後押しするトレンドはいくつもあり、それらの多くは「短期滞在」型で働く創業者やスタッフ - 一つの会社で一生働くのではなく幾つもの会社を渡り歩きながらネットワーク(多様な人とのつながり)を広げていく生き方を好む者たち - によって生み出されている。"

テクノロジードリブンではなくビジネスモデルドリブンで行こう

wired.jp

面白い記事だなーと思って読んでました。先生とエンジニアが一緒になって、「学校」というシステムを作っていく/改善していくっていうやり方がいいなー、と。すでに完成した学校という場所に対してテクノロジーで付加価値を足していくという考え方はなく、学校というシステム自体が所定の目的(モンテッソーリ2.0/生徒の学びを支援する/促進する)に対するソリューションとして存在するという考え方をとり、あるべき形を考えるためにゼロから作ってみる。で、その学校というシステムの中の要素の一つとして、テクノロジーがあり、個別具体的なツールを作ることで教育をよくできるのか?という実践ベースのR&D、実験がある。テクノロジードリブンではなくて、主体となる別のシステム(ビジネスモデルやそのオペレーション的なものの)があって、その構成要素としてテクノロジーがある。こういう形が素敵だと思います。

アクセンチュアgoogleの提携のニュースが流れた時に、業務コンサル+SIができるのがいいよねって話をしている人が多い印象があったのですが、ほぼ同じ話だと思うのです。既存のビジネスモデルに対する深い理解があって、それをよくするためにSIを提案できる。最適化するのはビジネスモデルであって、アプリやツールではないというか。

そうやって考えていくと、エンタープライズ系のSIみたいにベンダが作って納品して終わりではなく、作ったものが意図通りに機能するか見ながら変えていける方がいいよねという話になる。で、その方向を受けて、事業企画やシステム開発のスタイルも変わっていくはずで、それによって業務に求められる専門性や人材像も変わっていく、、はず。そういう変化は短期的には全く起こるように見えないが、数年スパンで見ていくと着実に浸透していくし、気がついた時にはってなりやすいのでフライング気味でもよいので手をつけて情報発信しておいたほうが個人としてもいいことがあると思うのです。

GWに考えたこと

今年のGWは、今後の進路をあーだこーだ考える貴重な時間でした。
結局明確なこれ!まではいたらなかったのですが、
ざっくりの方向性はなんとなる決められた気がします。

総括としてですが、
やっぱり今の自分は開けてないというか自分が望むような形で社会/世界と関われていないようなフィーリングがあって、
そこは不本意だったりするのですが、でもそれが不満とかは本質じゃない気がしていて、
あーだこーだ口で言うのは簡単だけど、
じゃーどうすんの??、というまさにそこにつきるのかなーと思いました。
そこが今の自分の勝負ポイントだと思ってます。

やっぱり自分の人生は面白くしたいし、もっとエモいものに出会いたいし、時間の使い方や経験するものに意義を感じで生きていたいんですよね。
なので、成功するかどうかは置いといて挑んでみるしかないなーと。

そんなこんなで、明日からまた平日モードだけど頑張ろう!

見ている世界を広く保つということ

もうすぐ30代も半ばになりつつある中で、
働き方や業種の異なる友人知人と話すと思うのですが
生活圏や見ている世界がぜんぜん違いますねー。
感覚的ですが、お互い別々の国に住んでるんじゃないか!?ってぐらいに。

で、自分がこの人いいな!と思う人は
いろいろな世界を行き来していて、その人自身が
活力や創造性にあふれたエコシステムの一部になってる感じで
楽しそうです。

願わくば自分も、そういうシステムに参加して
価値を提供することで全体の発展に寄与できるような
存在になりたいなーと思います。

さておき、自分的に適度に危機感を持っていないといけないと思うのは、
自分で自分をタコツボ化させてはいけないよ!
自分の見ている世界の広さはに対して責任を持っているのは自分なんだよ!という
ことです。

そして、世界の広さを教えてくれるのはいつだって他者だったりするわけで
友人とか雑談とか大事だなーと思ったり。

問題を解決するということ

今日、現場でとある問題についてベテランの技術者の方に
相談をしていた時にちょっと感動してしまった。

自分がそれこそ20時間とか考えても、
有効な解決策が見えず「対処」レベルの案しか作れなかった問題が
目の前のすごい勢いで整理されていく。

断片的で混沌としていた情報たちが意味のある形でまとめられ、
意思決定をするために必要な価値のある情報へと変わっていく。

視野の裾野が広がり、その問題を考えるにあたり、
どこまでの影響を考えればいいのかイメージできる範囲が広がっていき、
目の前のことしか考えられていなかった事柄について
時間軸が与えられ短期的な影響と対処、
長期的に発生しうる問題をどう課題として考えればいいのか、
その時にどんな判断基準を設定すればいいのか?
というように整然とした姿が与えられていく。

出された答えにはものすごい納得感がある。
それまで問題解決という言葉で捉えていたイメージが
抜本的に変わった。

すごい問題解決は、目に見えるもの裏にある見えないものを見通し、
新しい何かを想像する行為であるということがわかった。

そこに高みを見た。感動した。
人間はこんなにも遠くを見ることができるんだなーと。

こんな面白い経験ができるなら、もうちょっと仕事を頑張ってもいいかもしれない。