今日を楽しくする事と輝く未来を思い描くこと(2)
続きです。今回は↓について。
(2)「もし、そこに到達できたら…」と考えるとすごくワクワクし
幸せになれるような未来の状態を思い描き
そこを「目指」す過程として毎日を再定義する方向性(ビジョン・成長ドリブン)
こっちは割と一般的な価値観だと思います。
平たく言うと、向上と成長の物語と言うんですかね。
で、この方向性は自分の中では更に2つ、異なる方向性へ別れます。
(2-A)「目標を目指している」という過程の状態そのものが
幸せ派(自己の成長フォーカス系)
(2-B)どうしても解決したい課題、実現したい世界を見てしまった派
(ビジョンの実現フォーカス系)
「一緒じゃん!」と思うかもしれませんが、違うんです。
前者の人は過程としての状態に本質的な価値を感じているため、
物語としての成長の過程にある自分に価値をおきます。
それに対して、後者の人はどちらかというとビジョンそのものに
魅せられた人たちなんです。
ビジョンに魅せられた人たちは、「ここではない世界」に強い
憧憬を感じ、それを実現しようとする事が生きる原動力になっている、というのが
僕のイメージです。
ぱっとイメージする具体例ですが
(2-B)
・ヨルムンガンド
・ヴィンランドサガ
・コードギアス
とかですかね。。
というか、書いてて思ったんですが、
2-Aの場合、個人の中の主観的な内圧が周りの人に伝染していく物語になるのに対し
2-Bの場合、世界のマクロ構造を変えようとする物語になりますね。。
つまり、「成長したい」のか、「世界を変えたいのか」の違いかも。
これはもちっと考えます。。
まあ、それは置いておくとしても、
改めて2つの方向性を並べてみるのですが
大分方向性の異なる両者がどちらもそれぞれなりに
合理的かつ説得力のある形で幸せのカタチを提唱しているように
僕には思えるんですね。
(1)毎日を楽しくする(経験価値を最大する生き方)
(2)将来の目標のために頑張る(ビジョン&目標ドリブンな生き方)
以上をふまえて改めて考えてみると、最も端的な違いは、
(1)は時間軸としての「今」に焦点を当てるのに対し
(2)は未来に至る道としての「今」に焦点を当てています。
(ヒカルの碁の最終的な結論は、"遠い過去と遠い未来をつなげるために
私たちはいる"…でしたね!)
どちらにも負の側面もまたあって
(1)→未来や世界・社会といった「今」を構成しない事柄を認識する事が難しくなりがち
(2)→「今」の経験価値的な幸福を蔑ろにしがち
という当たりがわかりやすい欠点なのかなと。
そこで、上手く(1)と(2)のいいとこ取りをする事はできないのかなーと
そんな問題設定で最近考えてます。