自分が求めているものはこういうものではない-「ここ」からの脱出願望 『メシアの処方箋』 機本 伸司



メシアの処方箋 (ハルキ文庫) - 機本 伸司

「いいか、俺達は”凡夫”だ。
 俺も、あんたたちも。
 ここは凡夫の集まりだ。
 誰一人、真理を分かって
 生きているものはいない。


 凡夫だから、
 己のことしか考えられない。
 考え方も生き方もバラバラだ。
 こうして一緒にいるが、
 仲間でも友人でもない。
 誰にシンパシーを
 感じることもない。


 ましてこの中の誰かに
 愛されているわけでも、
 愛しているわけでもない。
 孤独な人間の集まりだ」



「・・・子供の頃から成績優秀。
 いつも褒められていた。
 しかし、何か足りない気がする。
 何かは分からない。
 それを一緒に探してくれそうな奴は
 まわりに一人もいない。
 誰といてもいつも孤独だ。
 人と馬鹿話をしていても心から笑えない。
自分の求めているものは、こういう馴れ合いではない
 という意識が、常にある」


というわけで、そんな絶望を感じている人たちが救済の可能性を求めて、メシア(救世主)を遺伝子操作で作り出そうとする話。


つまり「私はどのようにして救済されうるのか?」という問いですね。科学と宗教の狭間でそれを探求します。


ここら辺は、前作「神様のパズル」とほぼ同じ構図。前作は科学よりで、今回は宗教より。


神様のパズル (ハルキ文庫)

神様のパズル (ハルキ文庫)



問題設定自体は、割と凡庸なもののように思います。


「どうして自分は生きているんだろう?」とか「何かが足りない」という問いに取り付かれた人は、宗教家か学者か作家になる場合が多い。要するに救済が欲しいんですね。


そういう意味で、作者もまたアウトサイダーの系譜に連なる者なんですね。


プラネテス4巻のロックスミスと神父の問答なんか、まさにこの主題を巡る話です。自分の卑小さ寄る辺なさに耐えられない人が、ここではないどこかを志向するんですね。突破願望というか。



にしても、「私が救う人が私にとっての救世主」という回答は面白かった。相思相愛とかはなかなか難しいけど、それをを目指していかないとやっていけないよってことなんでしょうね。やっぱりプラネテスに似てるなあ。